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「氷の朔日(ついたち)」に思う、冷たくて熱いロマン

6月1日は「氷の日」、古くは「氷の朔日(ついたち)」といって、日本人が氷とどうつきあってきたのかという興味深い歴史につながっています。

6月の梅雨に入ろうかという前に氷?ということではなく、この6月1日は旧暦で、つまり現代では7月。今年旧暦6月1日は、7月17日だそうです。確かに本州の梅雨明け時期で、強い夏の暑さを感じる頃。古の人も夏の日差しの中で、涼を得る氷に笑顔を浮かべていたことでしょう。

「冷力」は魅力的

今回、なぜ氷の話なのかというと、冷たい力、「冷力」を使う冷凍食品と氷はご縁が深いから。もちろん温度帯は違いますし、冷凍食品の歴史は100年とちょっとくらいですが、氷は機械で作る氷以前に、天然氷を利用した長い歴史があります。中国では有史以来、氷を生活に利用してきたといわれ、日本では日本書記の記述に氷室が発見されて仁徳天皇に氷が献上されたという下りがあるというので、古墳時代に遡ります。

冬の氷雪は極寒地のやっかいものですが、それを氷室に保管して夏に取り出せば、とても有益。山間部の生活の知恵は、天皇をはじめ高貴な方々の夏の楽しみのために蓄えられるものとなっていきました。氷の朔日は氷室を開けて氷を始めに取り出す日なのです。

「氷餅」を食べる日という記述もあり、正月のお餅を凍らせていたのか、今も昔も同じなのかと感心した記憶があるのですが、これは早とちりで、餅を乾燥させてカチカチにしたのが氷餅。冷たくはないですが、本物の氷とは縁のない庶民が、氷の気分でガリガリと噛んだり、あられにして食べたそうです。

清少納言が食べた元祖かき氷

ふわふわのかき氷が人気です。春にオープンした八重洲ミッドタウンに行ってみたら、コート姿でかき氷の店に並ぶ人がいて驚き、いちごみるくかき氷1800円という価格にも驚きました。

歴史に残るかき氷の記述は、清少納言の「枕草子」が有名です。「あてなるもの(優雅なもの)」のひとつとして、「けずりひにあまづらいれて あたらしきかなまりいれたる」。つまり、削り氷(けずりひ)は氷を小刀で削ったもの、つまり元祖かき氷。あまづら(甘葛)は今でいうシロップ。鋺(かなまり)は銀製の容器です。雅な平安宮中が想像できますね。

事業としての氷は、海外でも日本でも、自然を利用した天然氷の製氷からスタートしています。日本は開国した幕末期から米国の「ボストン氷」を輸入。日本での始祖は、「函館氷」(1869年、明治2年)に成功した実業家、中川嘉兵衛氏でした。

機械式の氷ができ、低温保存の冷蔵保管、そして冷凍へ

機械式の氷が日本に登場したのは、1879年、横浜・山手で、英国人による機械製氷会社が誕生しています。同工場は競売や売却を繰り返して、最後はニチレイグループ企業の製氷工場として1999年まで稼働しました。機械式の製氷事業は日本人資本の企業が1883年に設立されて以降、各地で起業が相次ぎます。さらに合従連衡されていくという歴史が実にドラマチックで、「ニチレイ75年史」(2022年2月刊)を夢中になって読みましたが、長くなるのでこれはまたの機会に。

さて、私が8年前まで勤めていた冷凍食品新聞社では、業界人とのお付き合いから、よく本を出してほしいという依頼が舞い込みました。そんな1冊に、「氷の文化史【人と氷とのふれあいの歴史】」がありました。

著者は㈱ニチレイアイスの初代社長を務めていた田口哲也氏。働きながら哲学論文を書いたという学者肌の筆者が、さまざまな文献から日本の氷の歴史をまとめ上げた一冊です。編集に携わったのは先輩編集者でしたが、それは興味深い内容で、「われ氷をアイス」と書いた著者の、仕事を超越した思い入れに熱いロマンを感じたものです。以来同書を手元に置き、学校給食の食育に関連した話題などによく活用させてもらいました。今でも6月にさしかかると新聞社には書籍の内容に問い合わせが来ていることでしょう。

ニチレイは、戦後1945年12月1日、戦中の統制会社から日本冷蔵株式会社として発足しました。事業は、陸上の冷蔵・冷凍施設。そして戦前からの冷凍魚をはじめとする食品加工事業の流れ受け継ぎ、多角的な食品事業を目指しました。

日本冷蔵の大株主は当初水産大手4社。被災した製氷工場を復旧し、同時に冷凍工場・加工場を活用した食品事業へと急ピッチで体制を整えていきました。製氷工場の再建が整った1953年の4月には東京工場を新設します。冷蔵、製氷、凍結を備えた大規模な工場・倉庫です。当時「超低温」といわれた、日本初のマイナス20℃の大型冷凍庫も備えていました。つまり、冷凍食品産業の近代史がここから始まったのです。

同社は翌1954年には、市販用調理冷凍食品の第1号「日冷 茶碗むし」を発売、1955年からは学校給食で人気を得た「スチック」(スティック状の魚フライ)の生産を開始しています。

戦後冷凍食品産業が飛躍的に発展していったその背景には、有史以来「冷力」が人々を幸せにする魅力を持っていたことと無関係ではありません。「氷を利用する」「製氷する」「低温で食品を保存する」「低温の物流網をつくる」、さらに「冷凍食品を開発し広く普及させる」といった先達の、未来を描くロマンに胸が熱くなります。

引用参考文献:田口哲也著「氷の文化史」、㈱ニチレイ「ニチレイ75年史」